長谷川順持の建築生活

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2014年 02月 16日

バルテュス を辛抱する人


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バルテュス展  http://balthus2014.jp/
バルテュス を辛抱する人をバルテュストというらしいが、吉永小百合さんもそうらしい、、、
サユリストにも朗報?
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展覧会に先立って、バルテュスの対話録から今回は第二の対話。
芸術と脳科学の対話/第二の対話
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セミール・ゼキ|視覚脳研究者、ロンドン大学神経生物学教授
芸術の機能のひとつは、人間の心を喜ばせることであり、人間を幸福にすることだとわたしは思います。
バルテュス
もちろんそうですが、
芸術という概念はより大きなものだと言えます。
セミール・ゼキ
芸術は、単に人間を幸福にする以上のより大きな機能を有しているはずだと、、、、
バルテュス
そうです。芸術は精神に有益であり、善のために役立つものであるにちがいありません。
セミール・ゼキ
形而上学は事物の意味をとらえようとするものだとあなたはおっしゃいました。ではあなたは、ご自分の絵において事物の意味をとらえようとしていらっしゃるのですか。
バルテュス
何かを制作しようという気になることは、それを作る理由を発見することでもあります。今日私たちは新しい世界、すべてが機械によって作られている世界にいます。
しかし実際のところ、あなたはそこにいて、何かを見、それが何かを理解しようとしているのです。
画家であるということはそのようなことなのです。脳の研究を行うのも同様のことではないでしょうか。
セミール・ゼキ
事物の意味、事物の本質、つまり常に変わり続ける状況においても変わらない事物の性質に立ち戻ってみましょう。
それは絶えず脳が試みていることです。脳は、絶え間なく受けとる本質的ではない情報をすべて排除し、不変の特性についての認識を得るために本質的なことだけを記憶にとどめておくことで、世界への認識へと至るのです。
脳が対象や事物の外観を、どのような条件で見てもそれと同定できるのは、この働きによってなのです。
わたしにとって芸術とは、ある意味でこの本質的なものの探求、という脳の活動の延長にあるのものです。
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こころと身体
わたしたちの日常でも、よく区分されて語られている

問い
こころが震える、、、とは、脳の震えなのだろうか、、、

こころとは、脳のことだろうか、、、
あるいは脳とは肉体・身体なのだろうか、、、

脳が身体の要素であるとすれば、
ゼキの指摘「こころを揺さぶるあらゆるもの」が
脳の活動に修練される(説明し尽くせる)
と仮定すると

こころと身体は、区分されるものではなく、
まったく溶け合っている関係になる

仏教では「色心不ニ」と説くが、
色|身体は、心とニであってニでなく、
そこにはダイナミックで動的な交流がある、という

まさに、そのような状態を、ゼキは指摘しているのだろうか。

ゼキのクールなまなざしが、芸術家の熱いまなざしを、、、
科学していく。なぜかそれは、生命哲学に漸近していく感慨を覚える

スリリングな対話は続く
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by junji_hasegawa | 2014-02-16 02:16 | アートとデザイン


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