私たちは「美しいなあ」と感じているとき、あるいは、そう口にしてしまう時、そもそも、その実、どのような感覚、感情の状態なのだろう。
誰しもが一度は疑問を持ったことがあるし、その疑問を持ち続けてもいるのではないだろうか。「美」は「記憶」である、と言われてきたし、「好み」である、
と言い放つ輩も多い。
どちらも「そうだな、、」と同意できるが、もう少し掘ってみると、
ではその記憶の「何に由来して、、」あるいは「好みを美的に感じるのは何に由来する、、、」と、結果、堂々巡りだ。
美を創出する芸術家と、その「美」なるものを脳科学で解明し続ける科学者の対話。
対話者は
バルテュス/2001年に他界したフランスの画家+セミール・ゼキ/視覚脳に関する研究者、ロンドン大学神経生物学教授。

第六の対話からなる本書の、今回は第一の対話から、こころに留めたい、いくつかの抜粋をする。
セミールゼキの序文から数世紀さかのぼれば偉大な芸術家はしばしば素晴しい科学者であった。レオナルドやミケランジェロはそのような芸術家のなかの有名な二人に過ぎない。
しばしば芸術家と(科学者)は同じ目的を追求している。その目的とは、人間の心や精神を揺さぶるものは何かを理解すること。
第一の対話よりバルテュス
視覚はわたしたちを本当に原初的な何かへと送り返してくれるのです。
バルテュス
わたしは何かについての心像/ヴィジョンを抱き、そこから絵画を制作していきます。
ゼキ
一度色を塗ってしまってから、色を変えるということはありますか
バルテュス
しょっちゅうありますね。音符と同じでひとつの色は周りの全ての色に依存しています。絵画とは、音楽の用語で言えば、音符が正しい響きを生み出すために経なくてはならない長いプロセスのことです。
ゼキ
脳は問題の解決を望むのです。
脳は解決すべき問題を示すイメージに、より一層の関心をもちます。
偉大な芸術というのは、ある種の曖昧さによって特徴づけられるのだろうとわたしには思われます。脳はあいまいなイメージに関心を示します。なぜならそれが解決すべき問題を表しているからです。
バルテュス
わたしは自分の絵については決して語りません。絵画とは、他の言葉では表現することができない言語活動なのです。
ゼキ
科学者は、最終的には大脳生理学を通して芸術作品を説明できるに違いないでしょう。ただし、現時点(の段階)においても、われわれが脳について知っていることはとても有益なものです。その内容とは、脳はみずからが受けとる常に変化しつづける情報を通して、対象や表面の本質的で変わることのない特性をとらえようとしている、ということです。芸術家の仕事は、実にこの戦略の延長にあるものです。なぜなら芸術家もまた、絵画において本質的なものを、視覚世界のなかの不変の特徴を理解しようとしているからです。
中略、、
一枚の絵画が普遍的なものであればあるほど、その作品はより多くの状況にあてはまるのであり、芸術家は普遍的特徴を表現することで、より幸福になるのです。
たった一枚の絵ができるだけ多くの状況の特徴を描き出すことに成功していればいるほど、その絵はより脳に関わってくるのです。なぜなら、脳は自分のところにやってくる変動する情報のなかから、常に本質的なものをとらえようとするからです。
「曖昧さ」「普遍的なもの」「本質的なもの」「問題を解決したがる脳」「ヴィジョン」
第一の対話からワクワクする論が展開する。「美」なるものは言葉にしようとすればするほど離れていってしまうのかもしれない。それでも、、、、つかまえたい。
対話のもつダイナミズムを感じたい方は、原典をあたっていただきたい。
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